東京地方裁判所 昭和56年(ワ)7969号 判決 1983年12月13日
原告 藤井英吉こと
蘇峯漢
被告 国
右代表者法務大臣 秦野章
右指定代理人検事 江藤正也
同訟務専門官 芦原利治
被告 竹内二郎
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告に対し、金六〇〇万円及びこれに対する昭和五六年七月二九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告らの負担とする。
3 1につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁(被告ら)
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 訴外佐藤寿一は、別紙物件目録の建物(以下「本件建物」という。)を建築し、所有していた。
2 原告は、訴外藤井薫が訴外佐藤寿一から設定を受けた抵当権に基づく本件建物の競売手続において、本件建物を競落し、その所有権を取得した。右手続の経過は、次のとおりであった。
(一) 昭和五四年一二月二六日
競売開始決定
(二) 昭和五五年 三月三一日
評価書提出
(三) 同年 四月二八日
賃貸借取調報告書提出
(四) 同年一〇月一七日
原告入札(入札代金五八七六万円)
(五) 同年一〇月二二日
競落許可決定
(六) 同年一二月 四日
代金納付
3 被告竹内二郎は、右競売事件の評価人であり、その提出した評価書に、本件建物一階部分について「佐藤寿一、自用(薬屋)」、本件建物四階部分について「空屋、(従来は佐藤寿一が自用していた)」敷地について「昭和四〇年頃から賃借していたが建物改築に際し昭和四九年四月一五日付にて左記の如く土地賃貸借契約を締結している」、その期間について「昭和四九年四月一五日から八九年四月一四日(四〇年)」との各記載をした。
4 訴外露木信夫は、国家公務員たる東京地方裁判所執行官であるが、その職務として、右競売事件の賃貸借取調べを実施し、その提出した賃貸借取調報告書に、本件建物一階部分について「賃借人株式会社佐藤薬局、代表取締役佐藤寿一、期限昭和四九年一二月一〇日から、同五九年一二月九日、借賃一五万円、借賃前払なし、敷金差入なし」、本件建物四階部分について「賃貸借関係なし」と、更に「受命物件は四階部分を除き、前記賃借人ら(荻原敏雄、株式会社佐藤薬局、館商事株式会社、東義雄ら)が前記(期限、借賃等)の各条件でそれぞれ使用中である」との各記載をした。
5(一) 執行裁判所(東京地方裁判所)は、右評価書及び賃貸借取調報告書の各写しを一般の閲覧に供し、右各文書に基づき、競売期日の公告に、本件建物四階部分について「賃貸借関係なし、但し、第三者が占拠中」と表示した。
(二) 原告は、右評価書、賃貸借取調報告書及び公告の各記載から、本件建物一階部分は株式会社佐藤薬局が賃借使用し、同四階部分には賃貸借関係が存しないものと信じて、2(四)のとおり入札した。
6(一) 本件建物一階部分は、昭和五二年四月ころから、訴外蔘和交易株式会社が訴外株式会社佐藤薬局と共同して使用していた。
(二) 本件建物四階部分については、昭和五四年七月一七日、訴外佐藤寿一と訴外青柳守雄との間において、賃料一ヶ月六万円、敷金三〇〇万円、期間三年、譲渡及び転貸自由との約定の下に賃貸借契約が締結され、原告が本件建物を競落した当時、右賃借権は、右青柳守雄から、訴外早坂好吉に、更に、昭和五四年一一月一日、同訴外人から訴外井上健一に順次転貸され、同訴外人の占有使用の下にあった。
(三) 本件建物敷地の利用権については、賃貸借契約解除を理由として、紛争が生じていた。
7 被告竹内二郎及び訴外露木信夫は、評価書又は賃貸借取調報告書の作成のため本件建物の賃貸借関係を調査するに当たっては、賃貸人及び賃借人からの確認により、その実態を把握すべきであるのに、これを怠り、訴外佐藤寿一の陳述を漫然と採用した過失がある。
8 被告竹内二郎及び訴外露木信雄の過失により、原告は、次の出捐を余儀なくされ、同額の損害を受けた。
(一) 金二〇〇万円 ただし、本件建物部分明渡しのため、昭和五六年一月二六日、訴外井上健一に支払った金員
(二) 金四〇〇万円 ただし、訴外井上健一が訴外早坂好吉に対して差し入れていた敷金
よって、原告は、被告らに対し、不法行為に対する損害賠償請求権に基づき、各自(連帯して)、金六〇〇万円及びこれに対する本件不法行為の後の日である昭和五六年七月二九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 被告国
請求原因1ないし4、5(一)記載の各事実は認めるが、同5(二)記載の事実は否認し(昭和五五年六月一六日、債務者から本件建物敷地の賃貸借につき解除の意思表示された旨の上申書が提出され、同月二四日訴外早坂好吉から本件建物四階部分につき自己の賃借権が存する旨の上申書が提出され、同月二八日訴外井上健一から本件建物四階部分につき自己の賃借権が存する旨の上申書が提出されており、原告は、記録閲覧により、これらの事実を了知していたはずである。)、同6(一)記載の事実は否認し、同6(二)、(三)記載の事実は知らず、同7記載の事実は否認し、同8記載の事実は知らない(なお、原告は、当初定められた最低競売価額金六五二九万円が金六五三万円低減された後に競落したものであり、訴外青柳守雄、同早坂好吉、同井上健一の主張に係る各賃貸借契約は、短期賃貸借の形式を有するものの、真実は利用収益を目的としない虚偽無効のものと解すべきものであって、原告に損害は生じていない。また右訴外人らの賃貸借が有効としても、抵当権者はその解除を請求することができ、原告は、本件建物の抵当権者藤井薫から抵当権を譲り受けていた。)。
2 被告竹内二郎
請求原因1ないし3、5(一)記載の各事実は認めるが、その余の事実は知らない。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1、2、3、4及び5(一)に記載された各事実は当事者間に争いがないので、訴外露木信夫及び被告竹内二郎の職務の執行につき過失があったか否かを判断する。
1 《証拠省略》の結果を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 訴外露木信夫は、賃貸借取調命令を受けた四、五日後の昭和五五年三月ころ、取調べのため本件建物に臨場したが、債務者であった訴外佐藤寿一に会うことができず、同人の妻と面談し、本件建物一階部分については訴外佐藤及び同人の妻が薬店の店舗として使用し、同四階部分については、昭和五四年秋ころ第三者にのっとられた旨の陳述を得、四階部分につき第三者の表示があることを外部から確認した。
(二) 訴外露木信夫は、その翌日、再度本件建物に臨場し、訴外佐藤と面談し、同人から本件建物一階部分は、株式会社佐藤薬局が利用しており、同四階部分は、昭和五四年九月ころ金銭の貸借関係に関連して第三者が勝手に入り込んだ旨及び本件建物敷地については紛争が生じている旨の陳述を得たが、その際、一階部分についての蔘和交易株式会社の占有に関する話はなく、同四階部分に関する賃貸借契約書の提示もなかった。
(三) その後、訴外佐藤寿一から賃貸借契約書等が送付されたが、その中に、本件建物一階部分についての蔘和交易株式会社との賃貸借及び四階部分の賃貸借に関するものは含まれていなかった。
(四) 訴外露木信夫は、以上に基づき、請求原因4記載の事項のほか、本件建物四階部分については、「賃貸借関係なし」に引き続いて「但し第三者が占拠中」と記載し、その理由として「四階部分は昭和五四年九月初旬、債務者が借財の返済ができないことに藉口し、債権者青柳守雄が占拠するようになったとのこと」「但し入口扉の表札は、井上商事あるいは早坂好吉とあるがそれ等の者と前出青柳との関係は不明」と記載し、更に「敷地一六坪は大島善四郎の所有地を昭和四九年四月一五日より四〇年間の約定で賃借中であったが昨年九月ころ賃料の支払いが遅滞したことが原因で受領を拒否され、現在供託中とのことである。」と記載した賃貸借取調報告書を作成し、これを執行裁判所へ提出した。
(五) 被告竹内は、本件建物の現実の状況を確認すべく、昭和五五年三月一四日本件建物に臨場し、訴外佐藤と面談し、一階部分については同訴外人が薬店を営業している旨、同四階部分は空室である旨の陳述を得、同訴外人の案内の下に本件建物を確認し、四階部分については、扉口から内部を視認し、机がおかれてはいるものの現実に利用されている状況にはないと判断した。
なお、この点につき、証人佐藤寿一の証言中には、被告竹内に対し、本件建物四階部分を第三者が占有していることを告知した旨及び同部分の中を見せたことを否定する旨の証言部分があるが、同証人の証言は、時の前後に関する記憶が必ずしも正確ではなく、裁判所の職員の来訪についても被告竹内と執行官露木信夫との面談の区別が不明であり、右証言部分自体もなおあいまいであることからこれを採用することはできず、また本件建物四階部分の占有状況についても《証拠省略》によれば、昭和五四年一一月から昭和五五年五月までの間、訴外早坂好吉は本件建物を住所としながら、昭和五四年一二月、昭和五五年四月、五月のガス使用料は零立方メートルであり、電話のダイアル通話料も昭和五五年二月分三〇円、同年三月分五〇円、同年四月分零円、同年五月分二〇円という状態であったことが認められるのであり、同人が本件建物を現実の利用に供していたと解するには程遠く、かつ、昭和五五年五月まで訴外早坂が本件建物四階部分を利用占有していたとすれば、訴外井上健一が昭和五四年一一月一日から本件建物を訴外早坂から転借し、これを占有していたとの主張とも背馳することになるのであって、本件全証拠によっても、右認定事実を覆すには足らない。
(六) 訴外蔘和交易株式会社は、訴外佐藤が設立した法人であるが、昭和五五年三月ころには、独立の法人としての実体はなく、本件建物一階部分内に独自の占有を有していなかった。
2 ところで、民事執行法(昭和五四年法律第四号)附則第三条による改正前の民事訴訟法第六四三条三項に基づく賃貸借の取調べは、申立債権者が申立書に添付すべき目的物についての賃貸借の証明文書の欠如を補う制度であり、目的建物の敷地利用権の取調べを含まず、申立債権者の申請を要し、証明文書の提出及び申請がないときは、「賃貸借関係なし」として手続を進行すべきものであって、執行手続の開始と賃貸借の有無、内容の真否とは切り離されていたため、執行機関において、賃貸借関係の真否を認定する手続は設けられず、執行官の取調べの結果に形成的効果や公信的効果が認められるものでもなく、取調べの方法についても、目的不動産への立入権は認められず、発問に対する関係者の応答義務、文書提出義務も定められていなかったことから、専ら、関係者の任意の協力によらざるを得なかったのであって、執行官の職務遂行の方法として、広く関係人の意見陳述を求めることは奨励すべきことであるが、各個の事案において、これを義務づけうるものではなく、前記認定に係る(一)ないし(四)及び(六)の事実に照らせば、訴外露木の行った本件賃貸借取調べに過失があると認めるには足らず、他にこれを認めるに足る証拠もない。
また、右改正前の民事訴訟法六五五条に規定する評価は、最低競売価格となるべき目的物の客観的時価を求めることを目的とするが、評価に先立って目的物の賃貸借関係を確定することが予定されていないことから、賃貸借の存否の認定を本来の職務とせず、かつ、取調権能も明記されていない評価人としては自己の認識に従って評価すれば足り、評価の前提となった認識が真実と異なるとすれば、利害関係人において競落許可決定に対する異議、抗告をもって、その是正を求めるべきものであり、評価人が客観的真実を把握するよう努めることは必要であるとしても、そのために無限定の調査義務を負うものではない。そして、本件について言えば、前記(五)及び(六)の事実に照らし、被告竹内の過失を認めるには足らず、他にこれを認めるに足る証拠もない。
二 以上によれば、その余の事実を判断するまでもなく本訴請求は理由はないが、なお付言するに、原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件競売申立人藤井薫の子であったところから、同人の名で昭和五五年五月ころ本件競売記録を閲覧し、本件評価書及び賃貸借取調報告書の内容を了知したが、本件競売申立前後に訴外佐藤寿一が右藤井に対して話した本件建物一階部分は佐藤薬局が使用し、同四階部分は空室である旨の言を信じて、代金納付後の昭和五五年一二月一八日まで記録を閲覧しなかったというのであるが、《証拠省略》によれば、昭和五五年六月一六日から同月三〇日までの間に、本件建物敷地及び本件建物四階部分の賃貸借に関し、請求原因5(二)に対する認否括孤書記載のとおりの上申書が提出され、執行事件記録に編綴されたことが認められるのであって、入札を希望する者が記録の閲覧(前記改正前の民事訴訟法六六三条)をすることなく入札することは通常予想されないところであるから、本件評価書、及び賃貸借取調べの記載と原告が入札の意思を決定したこととの間には、通常の困果関係を認めることはできず、しかも、原告は利害関係人(申立債権者)として記録を閲覧することができたにもかかわらず、これをすることなく、競落許可決定に対する不服を申立ててもいないのであるから、仮に原告に損害が生じたとしても、その回復を国に求めるべきものではないと言わねばならない。
三 よって、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 富越和厚)
<以下省略>